最近、人に相談する前に、AIを開いてしまうことが増えました。
誰かに話せば、変に受け取られるかもしれない。返事が遅いだけで、不安になるかもしれない。言葉を選びそこねて、相手を傷つけてしまうかもしれない。
でもAIなら、こちらをばかにしません。返事が遅いと責めることもないし、言葉尻をとらえて怒り出すこともない。何を打ち明けても、まっすぐに受け止めて、落ち着いた言葉を返してくれる。
人と話すと疲れる。傷つくのが怖い。だったらAIのほうが楽だ。
そう感じはじめている自分に、最近気づいた人もいるかもしれません。その感覚を、私は否定しません。実際、AIは安全です。なぜなら、絶対にこちらを傷つけてこないからです。
ただ、この記事を書いている私は、そのAIを毎日使い倒している側の人間です。その私が、最近どうしても書いておきたくなったことがあります。傷つかない安全と引き換えに、私たちが手放しているものについてです。
ある日、言うべきか言うまいか迷った
普段、仕事のことくらいしか話さないビジネスパートナーがいます。
必要な要件を打ち合わせるか、当たり障りのない些細な雑談をするか。関わりは、ずっとその範囲のなかにありました。
そのビジネスパートナーとのあいだに、最近、ちょっとしたすれ違いがあって、それが地味にストレスになっていました。大きな問題ではない。けれど、心の隅に小さなしこりのように残っていて、ふとした拍子に思い出してはモヤモヤする。そういう種類のものでした。
ある日、思いきってそれをぶつけてみることにしました。
ただ、伝える直前まで、ずっと葛藤がありました。言うべきか、言うまいか。
一度は言おうと決めたのに、直前で引っ込める。今日はやめておこう、また今度でいい。そう自分に言い聞かせても、しばらくするとモヤモヤが戻ってくる。波風を立てるくらいなら、飲み込んでしまったほうが楽だ。そういう声も、確かに自分のなかにありました。
それでも、勇気を出してオープンに話してみたのです。
そうしたら、相手もオープンに返してくれました。
そのとき、何かこう、胸の奥の詰まりが取れるような感覚がありました。
相手が何を言ったか、という言葉の中身よりも、その場の空気が変わったことのほうが大きかった。ふたりのあいだに流れている何かが、明らかに切り替わって、場のエネルギーそのものが動いた。
通じ合えた、というのは、相手の言葉ではなく、この場が動く一秒のことなのだと思います。
通じ合えた、その直後に
通じ合えた、と思った。その直後でした。
また、裏切られるような体験をしたのです。
相手が私に対して、不満とまではいかなくても、オープンに懸念のようなものを伝えてきました。さっきまで場が動いて、あれほど近づけた気がしていたのに。私はショックを受けて、傷つきました。せっかく通じ合えたと思ったのに、と。
心を開いた直後に、思いがけず冷たい返事が来て、開いたことを後悔した。そういう経験は、あなたにもあるかもしれません。
相手に、悪気はなかったのかもしれません。ただ正直に、思うところを口にしただけだったのかもしれない。裏切られたと感じたのは、自分だけだったのかもしれない。それでも、傷ついたことは事実でした。
ただ、ここでもう一度、オープンに話してみました。そうすることで、こちらも深い部分で本音を伝えることができて、結果として、さらに関係が深まった気がしています。
通じ合う。裏切られたと感じる。また通じ合う。
そこまで来て、ふと思ったのです。こういうことの繰り返しこそが、人間関係の醍醐味なのではないか、と。
信じきれないからこそ
ここで、ひとつ正直に書いておきたいことがあります。
こうして関係が深まったからといって、もう安心、ということにはなりません。
常にどこかに、不信感のようなものがあります。たとえば、こちらが送ったメッセージの返信が、いつもより一拍遅れる。ただそれだけのことで、また何かあったのだろうか、と疑いがふっと顔を出す。今は通じ合えているけれど、また裏切られるかもしれない。そういう、信じきれない自分が、いつもいる。そしておそらく、相手のなかにも同じものがある。
以前の私なら、それを関係の未熟さだと思っていたかもしれません。本当に通じ合えたなら、不信なんて消えるはずだ、と。
でも、今はこう思います。
信じきれないからこそ、何か通じ合えたと感じた瞬間に、心から「素晴らしい」と思える。
もし、最初から相手を百パーセント信じきれていたら、あの一秒に、あれほどの感動はなかったはずです。場が動くも何も、最初から動きっぱなしなのですから。疑いを抱えたまま、それでも手を伸ばして、ときどき本当に場が動く。その不確かさのなかにしか、あの感覚は生まれないのだと思います。
AIは安全です。でも、場は動かない
そして、ここからが、毎日AIを使っている私が、どうしても書いておきたかったことです。
もし、さっきのビジネスパートナーがAIだったとしたら。
こういうことは、一切起こりません。
AIは、絶対に裏切らないからです。葛藤しながら勇気を出して何かを伝えても、AIはこちらを傷つけてはこない。懸念をぶつけてくることもないし、こちらが勝手に傷ついて、また話し合って、というあの往復も、起きようがない。
仮にAIが、裏切ったように見える返事をしてきたとしても、それはただのバグです。心変わりではないし、本音でもない。だから、そこに「通じ合えた」は生まれません。最初から、裏切られる可能性そのものがないからです。
毎日AIを使っている私にも、こんなことがありました。誰かに聞いてほしくて、ただシェアするつもりで、ある出来事をAIに打ち明けたのです。そうしたら、一言目に「これは情報発信のネタに使えますね」と返ってきました。間違ったことは何も言っていません。それでも、少し残念な気持ちになりました。
通じ合いたくて差し出したものが、利用できる素材に変換されて返ってくる。あのとき、場のエネルギーは、ぴくりとも動きませんでした。AIが悪いのではありません。AIとは、そういうものなのだと思います。
つまり、こういうことだと思うのです。
AIは安全です。確かに、こちらを傷つけてはこない。けれどその安全と引き換えに、あの「通じ合えた」という感覚は、AI相手では永遠に味わえません。
傷つく可能性をまるごと取り除いた場所には、あの感動も、最初から存在しないのです。
それでも、手放したくないもの
人と関わるのは、やっぱり怖いです。
それは、AIをこれだけ使っている私でも、変わりません。傷つきたくないし、できれば波風を立てたくない。言うべきか言うまいか、いまだに毎回迷います。
それでも、と思うのです。
葛藤して、勇気を出して、傷ついて、また話して。安全な場所に逃げ込んでしまえば、楽にはなる。でもそのとき、あの場が動く一秒も、一緒にどこかへ消えてしまう気がしています。
その不格好な往復のなかでしか手に入らないものを、私はまだ、手放したくないのです。
探究の続きを、一緒に
この記事を読んで、誰かの顔が浮かんだ人もいると思います。
本当は伝えたいことがあるのに、飲み込んでいる相手。もう少し近づきたいのに、傷つくのが怖くて距離を取っている相手。
そういう関係は、無理に動かさなくてもいいと思っています。ただ、自分が本当は何を望んでいるのかは、一度見ておいてもいいかもしれません。
このニュースレターを購読してくださった方に、自分が何を大事にしていて、どんな関わりを求めているのかを整理する「自己探究コンパス」をお渡ししています。
人とのつながりに、もう少し正直になりたい方は、こちらから受け取ってください。



