やりたいのに動けないのは準備不足のせいじゃない
動けずにいたのは、やりたいことがまだ言葉になっていなかっただけかもしれません。
やりたいことが、確かにある。
それなのに、何年も動けていない。そういう状態に、心当たりはないでしょうか。
考えるたびに、どこか苦しい。だから、できれば見ないようにしている。それでいて、完全に諦めることもできない。
私たちはたいてい、その動けなさを、自分のどこかの不足のせいにします。準備がまだ足りない。形にできるほど詰め切れていない。やったところで、どうせ結果が出ない。そうやって、自分にもっともらしい理由をつけて、また先延ばしにする。
でも、本当にそうなのでしょうか。
準備が足りないわけでも、能力が足りないわけでもないとしたら。動けなさの正体は、まったく別のところにあるのかもしれません。そしてそれは、私がAIを使うようになって、はっきり見えてきたことでした。私が、5年抱えた構想を通して、ようやくそう思えるようになった話を書きます。
考えることすら、やめてしまった
私には、5年ほど抱えたままの構想がありました。
構想、といっても、くっきりした計画があったわけではありません。きっかけは、夢やわくわくではなく、危機感でした。既存のビジネスが古くなって、落ち込んできていた。何か考えなければいけない、前に進めなければいけない。このままではダメになってしまう。そういう切羽詰まった感覚だけが、先にありました。
最初のうちは、焦りがありました。やりたいのに進められていない、ということへの後ろめたさのようなもの。やらなきゃ、進めなきゃ、と思いながら、手はつかない。その状態が、いちばんしんどかったかもしれません。
それが、3年、4年と経つうちに、焦りは少しずつ別のものに変わっていきました。
諦めです。
「どうせ無理だろう」。そう思うようになると、現状維持と先延ばしが、当たり前になっていきました。今日もできなかった、という感覚すら、だんだん薄れていく。
そして最終的に、私はその構想について、考えることすらやめてしまいました。
苦しいから考えるのをやめる、というより、考えてもどうにもならないと体が覚えてしまった、という感じです。焦りも後ろめたさも、もうそこにはありませんでした。ただ、静かに、なかったことになっていきました。
なんとなく、口に出せた
その構想が動き出したきっかけは、自分でも拍子抜けするくらい、小さなものでした。
私は、AIを自己対話の相手として使うようになっていました。AIは、こちらが話したことを覚えていてくれます。だから、やり取りを重ねるごとに、こちらの内側を掘る対話が、少しずつ深くなっていく。
そういう対話の中で、私は「自分のビジネスの企画を、進めたい」と、特に何かを期待するでもなく、なんとなく口に出してみたのです。
うまく説明しよう、とは思っていませんでした。ただ「こうしたい」と、ぼんやり伝えただけです。
正直に言えば、怖さもありました。本当に進められるとは思っていなくて、感情のこもらない、冷めた感じでした。とりあえず口には出してみたけれど、どうせ進まないだろうな。そう思いながら言ったのを、今でも覚えています。
ところが、その瞬間から、具体的な深掘りが始まりました。
返ってきた提案に、「それはもうやってみたんだけど」と返す。別の提案には、「それは気づかなかった」と気づかされる。AIが、答えをくれたわけではありません。私のまだ言葉になりきっていない、ぼんやりしたものを受け止めて、問いを返してくれただけです。それでも、その問いに何か返そうとするたびに、ずっとバラバラに散らばっていたものが、いつのまにか一つにつながっていきました。
5年、考えることすらやめていたものが、です。
言葉になった時点で、もう終わっている
このとき、私の中ではっきりしたことがあります。
私が動けなかったのは、やる気が足りなかったからでも、準備が足りなかったからでもありませんでした。
ただ、やりたいことが、まだ言葉になっていなかっただけだったのです。
これは、AIを使うようになって、いっそうはっきりしました。やりたいことさえ言葉になれば、そこから先、構想を練ることも、形にしていくことも、もう人間が一人で背負う仕事ではなくなっているからです。
たとえば、私の情報発信がそうでした。
私もついこの前まで、ネタを考えるだけで動けず、発信が数年単位で止まっていました。書く前の、構想を練るところだけで、労力を使い果たしていたのです。それが今は、ほぼ毎日続けられています。いちばん大変だった「ゼロからネタを絞り出す」が、まるごと消えたからです。
つまり、こうです。
思いついた時点で、それはもうクリアしている。言葉になってしまえば、あとはそれを投げるだけ。難しいのは、その手前。そもそも、何がしたいのか、を見つけるところだけなのです。
そして、ひとつだけ、大事なことがあります。最初から、きれいに言葉にしようとしないことです。
多くの人は、言葉にする前に、完成形を求めてしまいます。誰に向けるのか。どんな形にするのか。それが決まっていないから、まだ動けない、と思ってしまう。でも、順番は逆でした。まずは、ぐちゃぐちゃのまま、外に出してみる。「本当は、こうしたい気がする」と言ってみる。完成していない、その言葉からしか、ものごとは動き始めないのだと思います。
私だけの話じゃなかった
これは、私だけの話ではありませんでした。
長年、ある仕組みを作りたいと思いながら、ずっと着手できずにいた人がいました。やりたい気持ちはある。けれど、「いや、もっと他にやることがあるだろう」と、自分で自分を止め続けてきた。
その話を聞いていて、私は、自分のことのように思いました。ああ、私もこれだった、と。やりたいことが、まだ言葉になりきっていなかっただけ。 動けなかったのは、足りないからではなかった。
止まっていた時間が長いほど、その奥に、言葉にされないまま眠っているものがある。私自身が5年それを抱えてきたから、それは、よくわかる気がします。
いちばん価値のある、もやもや
だとすれば、自分に向ける問いは、変わってきます。
「もっと頑張れ」でも、「もっと準備しろ」でもありません。
「自分は、本当は何がしたいのか」
ここだけが、最後まで自分にしか分からない場所として残ります。
そして、ひとつ補っておきたいことがあります。ここでいう言葉にする、というのは、うまく伝える技術のことではありません。プレゼンが得意とか、文章がきれいとか、そういう話ではないのです。
言葉にするというのは、自分の内側にある、まだ形になっていないもやもやを、掘ることです。
だから、今この瞬間、言葉にならずに胸の奥でくすぶっているもの。あの、名前のつかないもやもや。それこそが、いちばん価値のある場所なのだと、私は思っています。
まだ言葉になっていないもの。まだ言葉を与えられていないもの。そこに、そっと言葉を与えてみる。
私が、5年も止まっていたものを、もう一度前に進めるためにしたことも、結局は、それだけでした。
探究の続きを、一緒に
まだ言葉にならない、自分の内側のもやもや。
そこに触れるのに、立派な計画も、まとまった時間もいりません。今日できる一歩は、「自分は、本当は何がしたいんだろう」と、ひとつ言葉にしてみることだけです。うまく言えなくていい。言いよどんだそのあたりに、いちばん大事なものが隠れています。
このニュースレターでは、その、まだ名前のつかないもやもやに言葉を与えていくための問いを、少しずつ届けています。購読してくださった方には、「自己探究コンパス」もお渡ししています。
うまく説明できないまま、自分の本音を探してみたい方は、こちらからどうぞ。




TOSHIさん、こんにちは!☺
自分の課題として「本当は何をしたいのか」 そこがぶれていて、言語化も十分にできていないと思っています。
気づきを頂きまして、ありがとうございます。
TOSHIさん、こんばんは。
私は50代主婦として、暮らしや家族の中の小さなモヤモヤを言葉にしている立場ですが、
ジャンルは違っても、言葉になる前のものを掘っている感覚が少し似ているのかも…と勝手に感じました。
畑は違うけれど、スコップが似ている、そんな気がしました(笑)