良くしたはずの資料で十五年の一貫性を失った私の戻し方
良いものを使っているつもりで、誰でもなくなっていました
AIで新しいことができるようになったとき、最初に決めておいたほうがいいのは、何を新しくするかではありません。何を変えないか、のほうです。
そう言われても、と思います。
せっかくできることが増えたのに、と。今がいちばん面白いところなのに、と。
私も、同じことを思っていました。
私は、もう十五年ほど言い続けてきたことに、自分が反していると言われました。
頑固に同じものを作り続けろ、という話ではありません。
AIで作れるものが増えて、あれもこれも試したくなっている。その状態そのものは、いいことだと思っています。
ただ、その先に一つだけ落ちる穴があります。私はこれを、のっぺらぼうと呼んでいます。
良いものを使っているつもりが、いつのまにか「みんなと同じもの」に埋もれていく。
読み終わるころには、今まさに自分が作っているものが、自分らしいのか、それともただ「良い」だけなのか。その見分けが自分ひとりではつかない理由と、代わりに何をすればいいかが、はっきりすると思います。
練り直す手を、止めていい
これが決まると、やめていいことがいくつか出てきます。
AIが出してきたものを見て、「なんとなく良さそう」で採用すること。
もう少し洗練させようとして、プロンプトを何度も練り直すこと。
もっと良くしようとして、そのつど手を足していくこと。
どれも、出来の良し悪しが「どれだけ使いこなせたか」で決まると考えているから出てくる手です。磨く場所が違っていれば、磨くほど遠ざかります。
良くなったと思っていました
ある日、自分が主催している講座の資料を作りました。AIを使うと、これまで自分の手では作れなかったポップな資料が作れます。
特にポップになったのはフォントです。丸っぽいフォントになっていて、背景の色も、周りに置いたイラストもポップでした。
そういうスキルを、もらってしまったわけです。
出来上がったものを見て、良くなったと思っていました。見やすくなったし、なんとなくポップな感じで、またAIを使ってこなれた感じのいいものができた、という感覚がありました。
自分の中で新しいことをやっている手応えがあったので、そこも良かったなと思っていました。
これは今も取り消しません。新しいことに挑戦したこと自体も、資料が見やすくなったこと自体も、間違いではありませんでした。
ただ、正直なところ、調子に乗っていました。
できるからやってしまうんです。飾りを付けたくなるんです。
降りてあげなくていい、と言われて
この資料は、すでに講座で実際に使って話をしていました。ただ、あまり反応が良くなかったんですよね。
どうして反応が薄いんだろうと、すごく意外に思いました。内容が難しかったのかな、ということは思いました。
直す前に気づいたのではありません。もう、渡した後でした。
その文脈で、オンラインのミーティングで、資料を画面共有しながら話をしていました。相手は、私のことをよく知ってくれていて、忌憚のない意見を言ってくれる信頼できる人です。もちろん、専門的な知識も豊富な方です。
返ってきたのは、こういう指摘でした。
もしかしたらデザインの面で一貫性がなかったのではないか。らしさがないデザインになっていたのではないか。
「格を下げなくていい」
「ちゃんとかっこよく知識もあるような方が、他のよくいるキラキラ起業家みたいな方に降りてあげなくていい」
意外な指摘で、最初はちょっと何のことか一瞬わからなかったんです。でも、言われてみればハッとして、確かにその通りだと思えました。
その場で、本当にいい指摘だな、と思いました。
ただ、一つの要因として、一つの仮説として「このデザインが私らしくなかったのではないか」ということは、私一人の振り返り分析では思いつきもしなかったことでした。
もちろん、反応が良くなかった理由が一つだとは思っていません。ただ、その仮説が自分の中から出てこなかったことのほうが、私には大きかったんです。
私にはこう届きました。ポップにするというのは、相手のほうへ降りることだったのだ、と。
自分では、見やすくしたつもりでいました。
自分の資料が、AIを使う以前と比べて大きく変わっていたのに、そこに全く意識が向いておらず、自分では気づけていませんでした。
十五年、受講生にも言ってきたことでした
白と黒と赤がいいというのは、もう十五年ほど前、私が自分でブログを書き始めた駆け出しの頃からずっとそうです。
それをブログ講座の受講生にも伝えて、みんな実践していました。ブログだけでなく、今回のようなスライド資料なども、すべてその3色で統一してきました。
自分に課したルールではありません。人に伝えて、実践してもらってきたルールです。
当初から変わらず言っていることなのに、自分がそれに反してポップに書いている。私は多分、自分の言ってきたことに反していたんです。
この指摘がなければ、いろいろな場面でこういう資料を使い続けていたんじゃないかな、と思います。
「良いもの」のほうへ、寄っていく
それでも、自分では分からなかったんです。
見栄えは良くなっていると思っていました。けれども、一貫性の中での文脈というのを忘れていました。
自分のブランディングというか、自分がこれまで作り出してきた世界観や、自分が持っているキャラクターとの一致、という視点が抜けていたわけです。
一貫性と言っても、同じものを作り続けるという意味ではありません。新しいことには挑戦していいし、したほうがいいと思っています。
ただ、その新しさが自分のどこに乗るのかを見ないまま出してしまうことが、私にはありました。
私は良かれと思って挑戦して、好奇心を持ってAIを使って、見栄えの良い資料を作ったつもりでした。でもそれって、いわゆる、みんながやっている「良い資料」「良いデザイン」なわけで、私という個別性、固有の良いものではなかったんです。
いろいろな人が講座やセミナーなどで話しているとき、私はそのスライドを見るわけです。だいたい似てるな、スライド資料がほぼほぼ似てきてるな、という感じがしています。
だからこそ、自分もそっちに寄せていってしまったんだろうなと思います。なんとなく、それが正解な気がしてしまった。
自分は良いもの、最先端のものを使っているつもりが、なぜか、いわゆる誰もが使っている「みんなと同じもの」に埋没していってしまう。私は、のっぺらぼうになりかけていました。
センスがない、という診断
うまくいかないとき、私は原因を自分の側に置いてきました。
自分にはデザインや資料作成、表現のセンスがない。長いことそう思っていました。
だからAIを使って洗練されたものが簡単に作れるようになって、それでよかった、もっと使いこなしてやろう、と考えていました。
その結果、出てくるものが響かないとなれば、次に考えることは決まっていました。
まだまだAIを使いこなせていない。AIによる表現が洗練されきっていない。
もっともっと洗練させていって、もっともっとAIを使わなければいけない。
私は、責める場所を間違えていました。
本当の原因は、自分の個性を見失っていることです。 自分が醸し出す、これまで表現してきた世界観や、これから作っていきたい、自分が生み出していく表現そのものを、自ら消してしまっている。
消してしまっていて、それがないということにさえ気づいていない。
現れ方は地味です。装飾を足したほうが見栄えは良くなった気がして、そこで判断が止まる。
あの「良くなった気がする」は、気のせいなんです。
そして、いちばん厄介なのはここからです。外から見ると、ものすごい違和感があります。
他と変わらない、みんなと同じ表現になってしまっている。それでいてなおかつ、本体である自分自身と合っていない。
みんなと同じなのに、自分とも合っていない。 そういう二重の違和感が出ます。
文脈のほうを、先に見る
では、これからどうするか。次からはシンプルなデザインで、白黒赤で、従来通り作っていこうと思っています。
戻す理由は、その3色が優れているからというより、私が十五年そう言い続けてきたからです。人にも、そう伝えてきたからです。
まだ戻せてはいません。次に資料を作る機会が、まだ来ていないからです。
決めただけの段階です。
決めたのは、色の話だけではありません。作ったものを見るときに、見やすいかどうかの前に、先に決めてある形から外れていないか、を見るということです。
順番を入れ替えるだけです。
念のため書いておくと、AIを使うのをやめる、という話ではありません。飾りを付けるな、という話でもありません。
間違いだったのは、新しくできるようになったことだけを見て、それが自分のどこに乗るのかを見なかった、その一点です。
私は、自分では気づけませんでした
いちばん最近AIで作ったものを、一つ開いてみてください。資料でも、文章でも、商品の説明でも、提案書でも構いません。
そして、以前の自分のものと並べてみる。それで分かるかというと、多分分かりません。
私が、分からなかったからです。
自分で気づけたかというと、多分気づけなかったと思いますよ。AIで作ったこのポップで洗練されたように見えるデザインがいいものだ、という大前提というか先入観があったからです。
おそらく、以前のデザインと並べたところで、「そっちは古いもの、こっちは新しいものだから、新しい方がいい」という思考になってしまっていたと思います。
並べても、新しいほうが良いという前提が、判定のほうを先に乗っ取ります。
振り返っても、同じことが起きます。反応が良くなかったとき、私も自分なりに振り返りはしました。
それでも、らしさが崩れていたのではないか、という仮説は思いつきもしませんでした。自分の中の候補には、入りにくいのだと思います。
だから、聞ける人がいるなら、その人に見てもらってください。自分のことをよく知っていて、忌憚のない意見を言ってくれる人です。
ただ、「どう思う?」では出てきません。良し悪しを聞けば、良し悪しの答えが返ってきます。
聞くのは、らしさのほうです。
これは私らしいか。一貫性は崩れていないか。
私が受け取った指摘も、その観点でした。
今は聞ける相手がいない、ということもあると思います。そのときは、らしさが崩れていたのではないか、という一行だけ、どこかに書いておいてください。
それで自分から気づけるようになるわけではありません。
ただ、いつか誰かに言われたとき、一瞬わからない、で止まらずに済みます。私は、そこで一瞬止まりました。
AIでできることは、これからも増えていきます。増えるほど、良いとされるものは簡単に作れるようになります。
だからこそ、先に決めておくのは、何を新しくするかではなく、何を変えないかのほうです。
変えないものを一つ持っている人は、何を新しく試しても、のっぺらぼうにはなりません。私は、そこに戻ります。
探究の続きを、一緒に
何を変えないか。そう言われても、自分が変えたくないものが何なのかは、意外と言葉になっていないものだと思います。
私自身、それを言葉にできたのは、外から一度指摘をもらってからでした。
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