集客のために書き始めた私が 自分を知ったある方法
仕事のために書き始めたのに、いちばん変わったのは自分の見え方でした
情報発信は集客のための作業にとどまるものではありません。自分の中にある形のないものに形を与える訓練です。
そう言われても、すぐには入ってこないと思います。
「発信は、読んでもらって、興味を持ってもらって、仕事につなげるためにやるもの」と思うのが自然です。そして、それは間違っていません。
集客のためにやるという目的は、今も正しいと思っています。
私も、そこから始めました。勤めていた会社を辞めて起業することになって、そのために情報発信を始めたのですから、目的は仕事のほうにありました。
そして情報発信を始めて、私は初めてそれに取り組むことになりました。自分の考えや気持ちを言葉にして表現すること。
まともに訓練したことは、それまで一度もありませんでした。
最初は、すごく抵抗がありました。なかなか言葉が見つからなくて、表現するのが難しかったということを覚えています。
ここでいう訓練は、文章がうまくなることではありません。頭の中にあって、まだ形になっていないものに、言葉という形を与えることです。
いま発信している人にも、これから始めようとしている人にも、同じことが起きると思います。読み終わるころには、いま書いている、あるいはこれから書く一本が、集客の道具である以上のものとして見えてくるはずです。
満たされないのは、何もないからではありません
自分が何がやりたいか分からない。
なんとなくモヤモヤしていて、このままでいいんだろうかと思っている。
あるいは、特に何か問題があるわけではないけれど、なんとなく満たされない。
それはそもそも、自分のことが分かっていないからです。自分の内にあるものに言葉を与えていないから、自分のことが分からない。
自分の内部にある構造が、理解できていないのです。
言葉を与えないままでいると、結局、自分が何者なのかがわからなくなってしまいます。自分が本当は何をしたいのかを、明確にすることができません。
そこに何もないわけではありません。言葉を与えられていないからこそ、認識できていない。
それだけのことです。
書いて初めて、自分が考えていたことに気づいた
言葉を与えるというのは、すなわちそれを認識できる形にするということですから、自分の中にあった形のないものに形を与えることになります。
抵抗があったのは、最初だけでした。書き出すと不思議とどんどん出てくるんですね。
書きながら「自分がこういうことを考えていたのか」「こういうことを思っていたのか」という気づきと発見が立て続けに起きて、どんどん次から次へと書けていきました。不思議な体験でした。
これは、ブログ講座に参加してくれた受講生のみんなが、口を揃えて言ってくれることでもあります。私だけに起きたことではありませんでした。
そこから何が起きるか。
自分のことが分かるようになります。
自分が本当は何をしたいのかが、明確になっていきます。
感情に振り回されることが減ります。
そして、AIに何を指示すればいいかが分かるようになります。
一つひとつは別のことのように見えて、入口は全部同じです。
そしてこれが、探究の土台になります。
文章は書いていた。でも、自分のことは一度も書いていなかった
文章を書いたことがなかったわけではありません。学生時代にはレポートを書きましたし、会社員のときは報告書を書いていました。
ただ、あれとこれは性質が違うものでした。どちらも決められた形式があって、扱うのは自分の外にあることです。
自分の中で何が起きているのかを言葉にする作業は、そこには含まれていません。
書き方を知らなかったのではなく、自分の中を言葉にした経験がなかったのです。
一人では見えなかったものが、対話すると見えてくる
ブログを教えるのをやめてから、私はコミュニティのメンバーと一緒に「探究」に取り組んできました。自分自身を内省して深め、より良い人生のためにさまざまなことを学び、みんなで対話をしながら深めていく活動です。
これは、ものすごく難しい取り組みなんですよね。大変なことになるとは覚悟していました。
けれども、集まったのは、以前、私のブログ講座を受講していた人たちでした。つまり、情報発信を通して、自分の思いを言葉にする訓練をすでに積んできた人たちばかりです。
だから、すんなりと入っていくことができました。
自分自身と向き合って一人で内省することもそうですし、メンバー同士で対話をして深めていくことも、とてもスムーズにできました。やればやるほど深まっていったと感じています。
だからこそ、そのときに「これは訓練になっていたんだな」と、改めて実感しました。
訓練しようと思って訓練したわけではありません。集客のために書き始めて、そのまま続けていただけです。
特別な人が集まったわけではありません。全員が、自分の中にあるものを言葉にする作業を通ってきていた。
それだけです。
だから探究は非常に深く進みます。対話が活発に行われ、多様な言葉が飛び交います。
自分一人ではもやもやして言葉にできなかったものが、みんなと対話をすることで言語化され、実体化していきます。
さらに、その言葉を足がかりにして次のステップへ進み、より深い高みへと登っていく。そうした変化が、何度も起こりました。
感情に名前をつけられないと、感情に飲まれる
ここまでは、訓練を積んだ人たちの側で起きていたことです。私も、発信を始めるまでは、そうではない側にいました。
言葉を与える訓練をしていないと、自分の思いや感覚、自分の中で起こっていることに、そもそも言葉を与えようとしません。
それをするという感覚すらないので、探究が成り立たない。探究しようというモチベーションが、そもそも湧かないのです。
たとえば、なんとなくイライラするなと思ったとします。
すると、ただイライラするという状態のまま留まってしまいます。
その背後に何があるのか、どういう仕組みでそうなっているのか、何がどう作用しているのか。分析したり探ってみたりすることを、一切しません。
したことがないからできないというのもあります。
だから技術云々ではないんですよ。やろうとしない、そもそもやるという発想がないということなのです。
これは能力の差ではありません。やったことがあるかどうかの差です。
感情に理由があるということを知らない、というよりも、感情とはそういうもの、つまりコントロールできないものだと思ってしまう。極端な話ですが、怒ったらもう怒りに任せて怒鳴り散らしてしまいます。
言葉にできないまま感情に飲まれた体験で、いちばん大きかったのは、3回うつ病になって会社を休職し、3回ともそのまま退職しているというものです。まさに同じ思考がぐるぐる渦巻いて、そこから抜け出せませんでした。
渦中にいるときの感覚は、今でも変わりません。
感情が強くなった渦中にいると、やっぱり自分を外に置けない。視点を、外に持っていけない。
怒りに任せて、勢いで強いことを言ってしまうことがあります。なかなか気持ちが収まらないとか、ぐるぐる胸の中を感情が渦巻いてしまうということもあります。
訓練している人は、怒りが湧いたときに「なんで怒ったんだろう」と一旦冷静になり、視点を高くしてそこを分析することができます。分析するというのは、つまり言葉を与えるということですから、それができるわけです。
私がそれをできるようになった、という話ではありません。
ただ、たとえそのときは怒りに任せてぶちまけてしまったとしても、後から自分を振り返って反省し、相手に謝ることができます。より良い形に、その経験を生かしていくことができます。
自分が分からないと、AIに頼むことも決まらない
AIが生活に浸透するにつれて、言語化の重要性が叫ばれるようになりました。これは正しい主張だと思っています。
AIに対しては、私たちが言葉で指示をして伝えなければ、こちらの意図や感情を汲み取って何かを実現してもらうということは、少なくとも現時点ではできません。
自分が本当は何をしたいのかが分からないと、たとえばAIに何を指示していいかもわからなくなってしまいます。
その目的を見失って、単にAIを使うこと自体が目的になってしまったりします。これはとても残念なことです。
AIを使いこなしている人は、言葉を使いこなしています。
日記とは、違うものです
情報発信、と言っても、日記とは違います。他人の目に触れることを前提にしているので、独りよがりではいけないということになります。
自分だけがわかればいいというものではなく、人に伝わるもの。だからこそ、自分自身も深く理解できるようになります。
やることは、自分のオリジナルな思いや考え、体験を言葉にして外に出し、表現することです。
媒体は問いません。ブログでもメルマガでも、音声配信でもSNSでも、どんな形でもかまいません。
そしてそれが土台になって、さらなる自分の考えや思い、体験につながっていきます。
探究をやるかどうかは、その人の自由だと思います。ただ、やろうとしたときに、土台があるかないかで、進み方はまったく変わります。
自分を言葉にした人たちに、現実の変化が起きていた
探究講座もそうですし、ブログ講座のときもそうですけど、直接ビジネスのことはそんなに教えてなかったんですよね。教えてなかったのに、現実の側が動いていきました。
ビジネスで結果を出せるようになった人がいます。
今いる会社の中で出世した人がいます。
自分の一番理想的な形で転職を果たした人がいます。
人間関係が改善した人がいます。
本当に驚くような結果を生んでいるんですね。もちろん、これはこの探究がすべての要因ではなくて、その人の頑張りがあってこそではあると思います。
それでも、みんながそれぞれ、現実の仕事や生活の上でも大きな成果を手に入れている。これは本当に驚きですね。
私が直接教えていたのは、自分の中にあるものを言葉にすることだけでした。
これはまだ決めていないことですが、情報発信の訓練ができる場を、もう一度設けてもいいのではないかと考えるようになりました。
今、湧いているものに言葉を与えてみる
今日やることを一つだけ決めるなら、これです。
今、心に湧き上がっている感情、もしくは自分の中にある感覚、あるいは思っていること。それが何なのか、それはなぜそうなっているのか、どこから来たのか。
そういうことについて、少しだけ考えて、言葉で説明を試みてみてほしいと思っています。
説明しきれなくてかまいません。言葉を与えようとした時点で、もう形が生まれています。
情報発信は、集客の道具です。そして同時に、自分の中にある形のないものに形を与える訓練でもあります。
それは一生使える技術になります。
探究の続きを、一緒に
自分のことを言葉にしたい。でも、何から書けばいいのか分からない。
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